Tezka Macoto' 6D

プロフィール

1961年東京生まれ。世界でただひとりのヴィジュアリスト。

高校で映画製作を始め、17歳の処女作が日本映像フェスティバルで特別賞を受賞。大島渚に激賛され、以後インディペンデント映画を多数発表。8mm映画『MOMENT』でカルト的な人気を得る。

大学生のときにテレビや雑誌で仕事を始め、ショートホラーのルーツである番組『お茶の子博士のホラーシアター』(「もんもんドラエティ」)が評判になる。また『ねらわれた学園』で俳優としても怪演。
85年、ロックミュージカル映画『星くず兄弟の伝説』で商業監督デビュー。

以降、実験映画から商業作品まで様々な映像製作の傍ら、小説の執筆やイベントの演出、音楽のプロデュースなどを行う。Vシネマの草分けとなった『妖怪天国』を監督し、数々のMTVを演出。黒澤明監督の現場に取材しメイキング・ビデオを撮る一方、開発初期のハイビジョンで東大寺を撮る。

黎明期からデジタル・メディアに接し、生物ソフトのエポックメイキングとなったCD-ROM『TEO~もうひとつの地球』をプロデュース。世界19か国で58万本を売り数々の賞に輝く。
10年を費やした意欲作『白痴』が99年のヴェネチア映画祭でデジタル・アワードを受賞。フランスでも劇場公開される。

93年に自身のオフィス「NEONTETRA」を設立。モデルの橋本麗香らのマネージメントも行った。
また手塚治虫の遺族としても活動を行い、記念館やホームページをプロデュースする。

近年はアニメの監督も行い、テレビアニメ『ブラック・ジャック』は東京アニメアワードの優秀作品賞を受賞。監修を行っているマンガ『PLUTO』(浦沢直樹)がヒットし、数々のマンガ賞に輝く。
最新作は劇映画『ブラックキス』。(2006年)

手塚眞
NEONTETRA

09/12/2009

GIFU

岐阜にきています。


(えっ 新潟にいたんじゃなかったの!?)


どこまでも落ち着きのない男です。

実は講演会があったのです。

初めて訪れましたが


なかなかにオモシロイ…

というか

不思議な土地です。

地元の方には申し訳ないのですが。

田圃と駐車場の国です。

しかも

岐阜駅前はいきなりソープ街。


昼間から客引きがウロウロしてます。


駅の北側はかつては繊維問屋で賑わったようですが

いまはシャッター街。


つまり店が潰れてシャッターが閉じっぱなし。


わずかに残った店の前にはやはり客引きが… 。

あと

提灯屋の老舗が並びます。

ちょうちん?


なぜ?

理由はわかりませんが

とにかく全国に流す提灯を生産、販売しているわけです。


いわれてみれば軒先に提灯を下げた家が多い。


岐阜デビューの印象は

駐車場と

ソープ街と

提灯


なのでした。

21:58

コメント

昨日はありがとうございました。
私も若い頃東京からの帰り道(まだ30代前半ですが)電車が岐阜に近づくと街が一変し灰色なのです。

まるで手塚作品の「時計仕掛けの…」を思い浮かべるので帰るのが嫌でした。
しかし山だけは沢山あるので過疎地より山の色合いはとても綺麗です。
ヤオロズの神様の存在を信じて素直に手を合わせる景色もまたまだあります。
(だから森のシーンがある映画ではよく撮影にきてますよ。最近だと蟲師など)
瑞穂から駅まではまあ…そんな風景でしょうが(笑)また一度ご縁がありましたら違う岐阜も紹介したいです。
昨日は私の漫画ベースを作って頂いた身近な方に話を聞けて嬉しかったです。
ありがとうございました。

投稿者:
志乃
Sep 13, 2009 8:30:35 AM

昨日の公開講座、おじゃまさせていただきました。

岐阜駅の南側(の西側)はもともと遊郭がありまして、ソープ街はその伝統(!)を受け継いでいます。今、あの街のど真ん中に南北縦断道をつくる計画があって、一部の土地はすでに舗装まで進んでいますがそれ以後進展がないようです。あの街を壊滅させる公計画でしょうね。

駅の北側はおっしゃる通り繊維街です。今度あのあたりに高層ビルが建つので皆立ち退いちゃったんですよ。

東海道線によって街が南北に分断されていました。南側はどいなかで北側が都会、というイメージです。平成に入ってJR線が高架になった理由もそこです。南北格差解消が狙いでした。

眞さんが昨日おいでになったのは正確には岐阜ではありません。現在は瑞穂市、もともとは穂積「町」です。あのあたりは長良川の田園地帯ですね。それで駐車場の土地が手に入りやすいのです。(新幹線の駅がある岐阜羽島もそういう土地です)

提灯は…そういう土地としかいえません。でも、お店がそんなに目立ちますか?市役所のあたりにはお店が結構あるんですが、地元民はそんなに意識していないです。

講演は非常に楽しませてもらいました。会場を見渡しても層がものすごく広いので驚きました。七十後半の方から小学生のよい子までといろいろ。講演内容は…うーん治虫先生の先駆性についてはいうまでもないにしても、彼ひとりで何もかも変えたとまで断言していいのか、そこは疑問でした。ここ十年で漫画史研究が進み、治虫さんの位置づけが再検証されている今、それらの実証研究をあまり踏まえていない(そのぶん耳触りは良い)歴史観を感じてしまったのは私だけでしょうか。

投稿者:
KK
Sep 13, 2009 9:11:33 AM

先日の講演参加させて頂きました。大変貴重な経験でした。ありがとうございました。

僕は現在、14歳なのですが、将来漫画家(クリエイター)を目指している者です。
そのためにも、日常のことから、映画や漫画や音楽などなど、様々なことに触れるよう努力をし、そこから何が見えてくるのか、また何を見る必要があるのか、日々考えています。

今回のテーマは「未来へのメッセージ」でした。
そして手塚眞さんのその講演内容や、幅広い年齢層の来場者を見ていて、思うことがありました。

この「未来へのメッセージ」とは、一個人としての「手塚治虫」ということだけではなく、現在の作品メディアの在り方や、日本の在り方といった事柄と切っても切れない関係性であると個人的には考えています。
そして、将来そのような場所に身を置くことを目指している僕にとっては、その重要な関係性・構造について考える人、考えようとする姿勢がどんどん薄れていってしまっているように感じざるを得ない現状がとても不安定なような気がしています。

いま現在、漫画家を目指している人間はたくさんいます。ですがその中のどれだけの割合が、手塚治虫、手塚世代の漫画に触れているのかと考えてみると、どうでしょうか?

僕自身は、その重要な一段を大多数が踏み外してしまっているのではないかと考えています。
勿論、必ずしもその一段を踏まなければならないと言うわけではないのかもしれませんが、そこを踏まないと、浅い感覚で物事を把握・判断し「次の世代」は確実に何かを踏み外してモノを作っていくと思います。

漫画に限らず、映画でも音楽でも、民主党に対する意識でも、そのような「感化の鈍感化」のようなモノが付いてまわっていくのではないでしょうか? つまりは、普遍的な問題なのだということだと考えています。

あの講演会場にいた方々の多くは、リアルタイムで手塚マンガに触れた世代ばかりだったと思います。(40代以降くらいが多かったかなと。)
それは今なお手塚治虫を忘れない人々がいると言うことで喜ばしいことではあります。ですが、少し見方を変えてみると、「この世代しかもう手塚に触れられない。」という証明でもあったと思います。
(あれほど高齢者が多いのはびっくりしました。なにか別の理由があるのかも...)

そのため質疑応答などでも、「未発表作品は?」や「眞さんから見たお父様は?」など、手塚治虫にとどまり過ぎてしまったかなと感じています。
ハリウッド・アトムにも、色々な意味で、色々なことを感じ、考えてしまいました。

全体的な内容としても、仕方の無いことなのですが、「未来」が見えにくかったと思っています。どちらかというと、「みんなで手塚治虫を懐かしむ」というような感じになってしまったかと。

やはり「未来へのメッセージ」は僕たちが受け継ぎ、世代リレーをしなければならないのではないでしょうか?
そのリレーが上手くいっていない今だからこそ、もっと強く、未来を生きなければならない若者たちにメッセージを発信しなければならないと強く感じました。
若者たち自身も、それらのリレーを引く継ぐということにもっと目を向け、真剣に受け入れなければならないのだと思っています。
お互いの立場が持っている責任を、もっと意識しなければならないと思っています。

急がないと本当に間に合いません。
僕たちの世代が先頭に立たなければならなくなるまでに、手塚眞さんらには今以上に、もっと活躍していただきたいと思っています。
少なくとも、僕はそれをしっかり引き継ぐつもりです。

長文・駄文で読みづらかったと思いましたが、これが現代のすべてを読み解く鍵だと思っているので、書かせていただきました。
ありがとうございました。

投稿者:
未来のOSAMU TEZUKA
Sep 14, 2009 1:53:22 AM

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